「私たちの救いの素晴らしさ」

十字架金

2002年8月15日 祈祷会  田中敬康師
ローマ8章31-39節
「私たちの救いの素晴らしさ」


このところは、『ローマ書の最高峰』といわれる所ですが、今日はこの箇所から、イエス様の救いの素晴らしさ、その確信ということに心を留めたいと思います。
私たちの身の回りには、問題、課題が起こって参ります。
そのような中で揺さぶられるような体験をすることもあると思うのですが、その中で『私たちの救いとは一体何なのか?』このことに思いを向け、そのことをハッキリさせておくことは必要なことだと思います。
ここに5つほどの『救いの確証』が出て来るのですが、それらを通して、イエス様のくださる救いが、しっかりと自分のものとなっているか、確信させて頂きたいと思うのです。

1. 神様が私たちの味方であって下さる事実
31節に「神が私たちの味方であるなら」とあります。神様ご自身が私たちの味方であって下さるというのは、こんな素晴らしいことはないのではないでしょうか。
そうしてその御方が、エペソ1:4にあるように、また、28節にあるように、「神のご計画に従って召された人々の為」と、単に地上生涯だけの話ではなく、私たち一人ひとりに対して、その全体像を計画してくださり、計画するだけでなく、成し遂げてくださるのです。
詩篇119:71に「苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」とありますが、これはここに於いて、自らの乏しさ、足りなさを苦しみを通して教えられたことが幸いだったと言うだけでなくして、そのことを通して、主が成し遂げてくださること、私たちの全体の計画を持っておられる主が成し遂げてくださるというそのことを学びえたことが幸いであったと言っているのです。
人間でしたら、味方であるといっても、心細いことがあり得ますけれども、神様が私たちの味方であるというとき、私たちは何の心配もいらない、これほど安心できることはないのです。

2. ひとり子を惜しまずに与えてくださった事実
32節には「ご自分の御子を惜しまずに死に渡された方が」とあります。
とてもとてもそんな価値のない私たちのために、嫌々ながらと言うのではなく、惜しまずに、ひとり子を与えてくださった。
このように犠牲を払っていてくださる神様の姿をここに見ます。
このような愛の神様。これは、中途半端なものではありません。
それこそ、徹底したもの、徹底して私たちの為に与え、愛し、犠牲をいとわれない姿です。
3.神が義と認めてくださるという事実
33節には「神が義と認めてくださるのです。」とあります。
ここで「義と認める」と言われていることの内容は、「まるで罪が全くなかったかのように神様の御前で計算してくださる」ということです。
私たちが十字架の上に於いてなされた御業がこの私の罪のためであったということを信じたならば、イエス様はすべてを成し遂げてくださる方だから、私たちの方で、もう、いつもでも良心の疼きを感じて、苦しみ続ける必要はないのです。
何もこのことで頑張ることはないのですけれども、神様が私たちを義としていてくださる、この事実をそのまま受けとめればそれでいいのです。

4. イエス様のとりなし事実
34節には「死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが・・・とりなしていてくださる」とあります。
死んでよみがえってくださったイエス様、即ち、今も生きておられる御方が、今も変わらずにとりなしていてくださるのです。
こんな私たちのような者のためにです。
イエス様の祈りには大いなる力があり、それはわざを成し遂げるのです。
それだけではありません。
26節を見ますと、イエス様だけではなくて、聖霊ご自身が私たちの為にとりなしをしていてくださるのです。
全地を造られた神様が、イエス様の、又聖霊のとりなしによって、私たちに大いなる事をなしてくださるのです。

5. 神の愛の事実
35~39節には愛、神様の愛のことが記されています。
それは愛の徹底した様です。
39節には「私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」とあり、また、37節には「圧倒的な勝利者」という表現があるのですが、この「圧倒的な」ということばは新共同訳聖書では「輝き溢れた」となっています。
ボロボロに破れたそんな姿でなく、輝いた勝利者、輝き溢れた勝利者としてそこには、描かれているのです。
神の栄光と恵みに移されて、光り輝く者とされている一人ひとりの姿です。
これだけを見ましても、私たちの得ている救いは、中途半端な救いではない、どんなに栄光に満ちた、素晴らしいものであるかが分かるでしょう。
それは永遠の面に於いても、『完全な』救いであります。
この前の28,29節を見ますと「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」とありますが、「益」というのは、最高の、最善のと言うことです。
それは、世的な意味における成功というようなこと以上に、神様の御姿に変貌される、イエス様の如くに変えられていくと言う世界です。

 どうか苦しみのゆえに、問題課題のゆえに、打ちのめされることがあるかもしれませんが、そんな中にあって、回復を与え、整え、すばらしい愛を提供し、私たち一人ひとりを守っていてくださる、この主に信頼して、従い続けさせて頂きたいと思います。
なかなか思うように行かない現状に、苛立ちや焦りを募らせるのではなくして、このような愛の神様、このような主だからこそ、私たちに最善のことをしてくださることをしっかりと捉えて、主の御手の中に落ち込ませて頂きましょう。


白花小


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