私は、長い年月を、心に大きな負い目と罪の意識を抱いて一日として心安らぐことなく過ごしておりました。
次々と続く苦しいことつらいことは、その罪の報いであり罰のように思い、そのことでグチや不平を言う資格は自分にはなく、
ただ忍耐と誠意と努力で事態が好転することを願って努めていました。 イエス様とめぐり会う直前には、生きる事にも絶望している状態でした。 かなり重症のノイローゼ、うつ状態だったのではないかと思っています。 その頃、私は、地区の自治会の保健委員をしていました。
ある時、私の地区の保健委員長さんの代理で、市の各地区の委員長さんの、日帰りの視察旅行に行くように頼まれたのです。 しかし、私はそこで心揺さぶられる大きな体験をしたのです。
今でこそホスピスという言葉はよく耳にするようになりましたが、少し前にはなじみの薄い言葉でした。 四・五十代の男性の患者さんは開口一番 「私は由緒正しきガン患者です」 と、明るく笑っておっしゃり私たちを驚かせました。
そして、自分の病気についてしっかりとした口調でさわやかに語って下さいました。
明るい開放的な病室の中で、どの方も残された時を精一杯前向きに生きていらっしゃいました。 病室の前の庭の小さな花壇には、動ける患者さんの手で秋植えの球根が植えてあるのだと聞きました。 そんなむなしい事を、むなしいと思わず懸命に今を生きていらっしゃる方々に心を打たれました。 ここには生きたくても生きる事の叶わない人がいるのに、私は生きられる命をなんと粗末に思っていることかと思いました。
どうやらそれは、信仰の力のように見受けられましたが、私には信仰がそのように人を強める事が良く理解できませんでした。 そんなある日、近に住んでいる友人のクリスマス会に誘われました。 わたしは、友人がクリスチャンである事を知りませんでしたから、牧師先生のいらっしゃる本当のクリスマスとは、思わず、 立派なうつ患者であった私は、 気晴らしになるなら何でもOK
と言うまことにいい加減な気持ちで出かけて行きました。 それがきっかけで友人の家庭集会に伺うようになり 、そのうちポツポツと田沼にあった教会にも通うようになりました。 その後も時々、生きていたくないような思いにとらわれることがありましたが、 キリスト教が自殺を禁じている事を、一般常識として知っていましたので、大げさな言い方で言うならば、 生命の本能的な自己防衛の気持ち、簡単に言うなら、死ぬのはやっぱり怖くて、教会へ通ったという面も最初の頃には あったかも知れません。 自殺願望はうつ患者のありふれた、症状の一つと申しますから。 そして一年がたち、長い間おっていた心の罪を告白し、悔い改め、イエス様を私の救い主として受け入れ、 「誰でもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」 コリントⅡ 5章17節 の御言葉によって救われました。 生涯許されないと思っていたことも、神様は許して下さり、今この時から新しく生まれ変わったと言って下さった事を忘れる事は出来ません。 神様は、このような者を忍耐強く待っていて下さり、不思議な力をもって救いへと導いて下さった事を知り心から感謝しています。 |
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