お目を止めて下さっていた神様

忘れもしません。

今から28年前の或る日「教会へ行ってみないかね。
いろんな年代の人達が集まって、牧師さんのお話を聞いたり、皆でいろいろ話し合って、友達も出来ると思うし、姉さんにも参考になる話があると思うよ。」と、誘ってくれた弟(現在信仰を持って30年余クリスチャン・ホームを築いております。そして次女も深い信仰生活を送っております。)

今にして思えば、私の全く知らないところで、このちっぽけな者にお目を止めて下さっていた神様。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」 マタイ11:28

神様は「わたしのところに来なさい」と、お声をかけて下さっていたのです。
しかし、神様のことを知らない私は「せっかくだけど人の中へ出て行く気力もないし、誰とも話したくないから」と、辞退したのを覚えています。

それから間もなく十年間わずらっていた義母を看取り、その3年後、3年間病床だった義父も他界。嫁として、主婦としてのつとめは山積しているのに、別の悩みもあり、心身ともにボロボロでした。
胸に鉛の玉を詰め込まれた様な息苦しさを覚え、のた打ち回り病院に行った時は、血圧の上が50しかなく、死ぬ寸前だと医者に叱られました。

しかし、まだ教会に行く気にはなりませんでした。

それから7年が過ぎ、娘に双子が生まれました。
或る日、娘が「教会へ行きたいけれど、一人だと子供の世話が大変なので、手伝ってほしい。」と電話がありました。
イヤとも言えないので、お供を2度、3度しました。
私は、教会の雰囲気になれず、こんな堅苦しい所と思い、気づかればかりしました。
先生のお説教も難しく、なんだかわからない。娘が幼子を連れて、教会へ行くと言う神経が全く分かりませんでした。

しかし、娘は、「おかあさんが、私の体を案じてくれるのは、本当に嬉しい。横になれば、体は休まるけれど、心がいやされないの。」というのです。
双子を生んだ後の大事な体、もしものことがあったらと並大抵の心配ではありませんでした。

しばらく、娘から電話がなくなり、どうしているのかしらと案じているところへ「私たち夫婦2人で教会へ遊びに来て下さい。」という電話でした。
久しぶりに外孫に顔でも見ながら、高橋先生(前の主任牧師)にご挨拶させて頂く為、田沼の教会(現在は若王子)へお邪魔しました。
主人は先生とは初対面でしたが、出かけることも、こころよく承知してくれて、本当に素晴らしいチャンスを与えて頂くことが出来ました。

それ以来、毎日曜日に行う礼拝に加えて頂き、会員の方々ともお交わりが出来、そこで初めて知ったのです。
娘があんなにまでして教会へ行きたいと願っていた思いを。

神様おことばを信じます。わたしに素直な心を与えて下さい。

「神よ。私を探り、私の心を知って下さい。私を調べ、私の思いわずらいを知って下さい。」
詩篇139:23

人並みの苦労も味わいましたが、ここで生まれ変わって、残りの人生を1日1日、自分の目と心で確かめながら生きてみよう。
その為には、今日までの自分の罪を神様の前にすべて吐き出し、お許しをいただいたら、信仰の歩みをスタートさせて頂こうと、日を追うごとに気持ちが強くなっていきました。
丁度その頃、孫も熱心に教会や家庭集会に出席させて頂いておりましたので、祖母として本当に嬉しく眺めていました。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」コリントⅡ 5:17

1985年12月12日この聖句を示して頂き、高橋先生に導いて頂きました。
そして、孫と共に3日後の15日に受洗の恵みにあずかりました。

今日まで信仰の歩みを続けさせて頂き、新しい朝を、新しい夕べを、神様の温かで深い愛に包んで頂いて、平安のうちに生かしていただいておりますことを感謝申し上げます。

「わが魂よ、主をほめたたえよ。主の良くして下さったことを、何一つ忘れるな。」
詩篇 103:2

こすもす1


〒426-0014 静岡県藤枝市若王子2丁目1-10
TEL 054(644)7242  FAX 054(644)7242

Copyright © 2014-2015 インマヌエル藤枝キリスト教会 All Rights Reserved.