イエス様の導き

私が救われたのは、高校2年生の冬でした。
何故、熱心な仏教徒の家に生まれた私が、仏教以外の宗教、特にキリスト教という外国の宗教に導かれたのか。
今から考えてみても本当に不思議です。

その頃の私は、外側から見たら真面目で何の問題も起こさない普通の高校生。
でも、その内面は、自分の殻に閉じこもり、決して他人を心から受け入れる事が出来ない程傷ついていました。
負けん気が強く、プライドが高くて、でも仲の良い友達とは、全く別の選択をした為に、孤独でいる事が多かった。そんな一人狼的な私のプライドをくすぐり、からかうのは、簡単だったと思います。
心は、悲鳴を上げているのに、自分で何とかするから大丈夫。私は、弱くないと思っていました。
そんな私を、外国の神様、イエス様が大きな愛を持って見守っていて下さっていました。

ある時、近くのインマヌエル静岡教会で“特別伝道会を行うからいらっしゃい”と、太鼓を叩きながら、讃美歌を歌う集団が高校の近くを通りました。
部活中でしたので、声だけ聞こえました。
聞いた私が、恥ずかしくなってしまう程、原始的な宣伝方法でした。
そして、トラクトが高校の前で配られました。
私は、それを受け取り、キリスト教という外国の宗教なんて何がいいのだろう。
仏教の 方がいいにきまっている。ちょっと聞いてみればわかる。と本当に今思えば高慢な考えで教会に行きました。
しかし、牧師先生のお話しを1回聞いてわかるはずがありませんでした。
そして2回3回と行くうちに讃美歌の美しさに心に安らぎを覚え、教会のなんとも言えない暖かさにかたくなな心が、溶かされる思いがありました。

いつの間にか教会に行くのが、喜びになっていきました。
しかし、受洗というと大きな葛藤がありました。
どうしてこのままではいけないのか。
今、私は、とても心地いいのに。
本当のキリスト教を知るのには、神様を受け入れるしか方法はないのだろう。
でも、私は、キリスト教の事なんかまだ、何にもよくわかっていない。
こんな状態で、これからの人生の決断をしていいのだろうか。
散々、迷った挙句、一大決心をし、自分のプライドを抜き捨て、今まで神様に背を向けていた自分を悔い改め、イエス・キリストを救い主として認めるお祈りを導いて頂きました。
昭和52年11月19日高校2年生の時でした。

気に入らないことがあると、両親にヒステリーを起こしていた自分、他人に対して妬みを持っていた自分、兄弟げんかをすぐしてしまう自分、醜い心をすべて十字架上のイエス様の血潮によってきれいにして下さいと祈りました。
そして、その年のクリスマス、12月25日に受洗させて頂きました。
その時の救いの御言葉がヨハネ黙示録3:20とコリントⅡ 5:17でした。

「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。
だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」 ヨハネ黙示録3:20

「だれでも、キリストのうちにあるなら、その人は、新しく造られた者です。
古いものは、過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」  コリントⅡ 5:17

こんな私を見捨てず、救いにまで導いて下さった神様の忍耐深い愛と背後にあっていつも祈って下さった牧師先生、信者の方々に感謝致します。くちなし

 

 


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