一人っ子の私に亡き両親が用意してくれた救いの道

私は東京生まれの東京育ちで、両親が結婚して13年目に生まれた一人っ子です。
両親は「この子は人よりも早く親と死に別れるだろう。一人になっても、きちんと生きていけるように育てよう。」と思ったそうです。

それで、両親はクリスチャンではありませんでしたが、父の姉が修道院のシスターだった為、6才から18才までミッションスクールの東京の立教女学院に通わせてくれました。

父の妹の御主人は住職でしたが、シスターの伯母とお互いに尊重し合っていましたので、キリスト教でも仏教でも宗教がある人を尊敬する気持ちが、幼い頃から私にはあったようです。

立教女学院は、聖公会です。
プロテスタントですが、最もカトリックに近いと言われています。

昭和30年から40年代の女学院は、徹底的に宗教教育に取り組んでいました。
毎朝チャペルで礼拝をしてから授業に入り、土曜日はお休みで日曜礼拝は必修でした。
聖書の時間も小学校から高校まで週2時間ありました。
私の生涯の土台が造られたのが、まさにこの女学院時代だと思います。

その後、大学で夫と出会い結婚。
一人っ子の私が東京を離れ、静岡県に行くことになりました。

夫以外、知り合いが全くなかった私は、家の近くにあったルーテル教会にお邪魔するようになりました。
その後、知り合いがいた、日本キリスト教団に通うようになりました。

ここは長老派で、受洗は1年以上、継続的に礼拝出席していること、
礼拝の前にある(半年位かかったと思いますが)信徒講座を終了していること、
更に、牧師、副牧師、長老達の諮問会をへて、受洗できるというものでした。

当時の私は数年通っているのに、聖餐にはあずかれず、祈っていますよという言葉が重荷で、なんとなく受洗してみようかという曖昧な気持ちで受洗を申し出ました。

諮問会の1カ月前から週1回、牧師が自宅に来てくれて、こういう質問には、こう答えるという問答の勉強をしました。

ところが、諮問会当日、最後に牧師が
「今、イエス様はどこにいらっしゃいますか。」
と質問してきました。

この問答の勉強はしていなかったので、ハッ!と思った瞬間、私の口から
「はい。イエス様はここにいらっしゃいます。私のそばにいらっしゃいます。」
という言葉が出て来ました。

それは私の言葉でなく、私の体の内部から溢れ出てくる言葉でした。
初めてイエス様が私の内部にいて下さることを実感した時でした。

そして、1984年のクリスマスに、日本キリスト教団で受洗しました。

その後、子供たちのスポーツ少年団と、家を空けるのを嫌がられるという理由から教会から7年間足が遠のいてしまいました。

そして、3人の子供たち全員が東京の学校に通うようになった事、肝臓ガンの母の看病もあり、3年間、夫と離れて子供たちと東京で暮らしました。

その間、色々な教会の礼拝に出席しましたが、しっくりこず、最後に福音派の単立の武蔵野泉教会に導かれ、 そこの80代も後半の岩下三郎牧師に
「長老派と聖公会では教理が一番かけ離れているから、しっくりこないのではないか、福音派の方があっているのではないか。」
といわれました。

三郎先生とインマヌエル創始者の蔦田二雄先生が、信仰に対する同じスピリットを持つ仲だった事から、

「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」マタイ9章2節

の御言葉を頂いて、2001年5月13日インマヌエル藤枝教会に転会しました。

クリスチャンになったからといって、艱難が起こらないわけではありません。
むしろ、クリスチャンだからこその試練も与えられます。
でも、それを乗り越える力が「祈り」によって与えられ、又、信仰の仲間が共に祈ってくれることにより、深い平安と感謝が与えられています。

「神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられない程の試練に会わせることはなさいません。
むしろ、耐えられるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」 Ⅰコリント 10章13節


「あなたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。
神があなたのことを心配してくださるからです。」Ⅰペテロ5章7節

   

くちなし

 


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