2019年2月17日 礼拝 メッセージ要約
「私の身によってキリストがあがめられ」
聖書箇所 新約聖書 ピリピ1章18節~27節
今日は一人一人の存在が、どうあるのが健全かを学びます。 共通した御言葉「生と死」 人間誰しも直面する生と死
① パウロの生きることが喜び、願い
「しかし、それが何だというのでしょう。見せかけであれ、真実であれ、あらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられているのですから、
私はそのことを喜んでいます。そうです。これからも喜ぶでしょう。」
ピリピ1:18 「喜んでいます。」何を彼は喜んでいるのか。
自分の人生に起きている事、→ピリピ1:13 「私がキリストのゆえに投獄されている」こと。
何故?
「というのは、あなたがたの祈りとイエス・キリストの御霊の支えによって、私が切に期待し望んでいるとおりにこのことが結局は、私の救いとなることを知っているからです。」ピリピ1:19
パウロは、囚われの身であり、一見不幸と思われるが、自分は祈られている。聖霊の支えがある。
ピリピの教会の祈りが神様に聞かれていることを信じていた。
彼の喜びを失わない秘訣は、4つあります。
1.
祈り 2.御霊の支え 3.期待し望む 4.私の救い
大きな問題が起こった時、ぺちゃんこになってしまうのは、神意識が足りないからです。 パウロは、逆境も益になると言っています。
これがあるから神様に近づけて頂けるという信仰に立つ。 自分を信頼するのではなく、神様に対して信頼するのです。
このことが私の救いになるという信仰に立ちましょう。
パウロの願い
私の身によって(私の身を持って現す。)キリストがあがめられること。
これが生きることの喜び、願い、(キリストの素晴らしさが拡大されるという訳がある。)
生きている事の目的、クリスチャン一人一人の目的は、 私たちの存在自身が、キリストの素晴らしさを語ることです。祈ることです。
宣教の畑そこに福音の種を蒔くことです。 崇高な人生目的を持っている人は、壊されません。
一つの目的を持っているということは、一つの事に集中しているということです。
救われた私たちの内にいて下さるキリストの品性をハッキリ示す。 その人の所作、言動を通してキリストを証する。 ① 忍耐
あなたがたが疲れ果てた時、苦難を通過されたイエス様の事をよく考えましょう。 いろんな形でイエス様を現す存在である私たち、
イエス様の恵みによって変えられた私たち、イエス様に影響を受けた者としての言動、
問題の中にある時、クリスチャンとして神様の栄光が現されるように祈りましょう。
私たちの霊性は、透明な明け渡した存在でなくてはなりません。 イエス様という霊が、私たちの心の中に蓄えられたからです。
宣教を通してもイエス様を崇めるように。 パウロは、牢屋におかれても宣教し、(オネシモの救い。)
法廷を講壇に変えてメッセージを伝えました。
「私の願いは、どんな場合にも恥じることなく、今もいつものように大胆に語り、
生きるにしても死ぬにしても、私の身によって、キリストがあがめられることです。」ピリピ1:20
人生目的の告白 「私にとって、生きることはキリスト、死ぬことは益です。」
ピリピ1:21
死生観
生きることとキリストと結びつけている。 死ぬこと――天の故郷に帰る。
救われた私たちには、キリストが私たちの内に生きておられる。
私という存在は平凡かもしれない。
しかし、私のうちにキリストという宝を入れた時、輝くのです。
これは、メッセージを聞いて信徒が書いたものです。メッセージそのままではありません。
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