2019年1月1日 元旦礼拝 メッセージ要約
「恐れるな。 私はあなたの盾である」
聖書箇所 旧約聖書 創世記15章1節~6節
これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨んだ。
「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたへの報いは非常に大きい。
アブラムは言った。「神、主よ。あなたは私に何を下さるのですか。 私は子がないままで死のうとしています。
私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルなのでしょうか。 さらに、アブラムは、「ご覧ください。
あなたが子孫を私に下さらなかったので、私の家のしもべが、私の跡取りになるでしょう。
すると見よ、主のことばが彼に臨んだ、「その者があなたの跡を継いではならない。
ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。 そして主は、彼を外に連れ出して言われた。
「さあ、天を見上げなさい。星を数えられるなら数えなさい。 さらに言われた。「あなたの子孫は、このようになる。」
アブラムは主を信じた。それでそれが彼の義と認められた。
アブラムの信仰と対比させ私たちの信仰は、どうでしょうか。
クリスチャンにとって必要なものそれは、聖霊に満たされ、用いられることです。
私たち一人一人の存在に神様の祝福を現されます。
「この川が流れて行くどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。
この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入るところでは、すべてのものが生きる。」エゼキエル47:9
この川とは、聖霊のいる所です。
これは、アブラムが戦って勝利を得て帰ってきた時の出来事です。
勝利を得たにもかかわらず、恐れ、極度の疲労 霊的に、肉体的にエネルギーを消耗しきっていた。
アブラムは、神様の声を一方では聞くが、世の声も聞かなければならなかった。 不信仰から来る不安と恐れ。
そういう彼を全部ご存知で、神様は目を留めて下さった。 個人的に語って下さる神様。
恐れるな――命令。 民を恐れてはならない。 理由は、「わたしはあなたの盾である。」
戦いによる反故(ほご)、中傷、非難の矢――これらは、付き返すことは、出来ない
自分の知恵、力、何かではない。主ご自身が盾となって下さる 約束――あなたへの報いは非常に大きい。
私たちには主ご自身と言う方が与えられています。 私たちは、おろかで外側に見えるもの、何かを求めます
しかし、何も見えなくても神ご自身が報い祝福して下さるのです。
ところがこんなに素晴らしい約束が与えられているのにアブラムは絶望している。 あなたは私に何を下さるのですか! 神様への疑問
主はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。
そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民(くにたみ)とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。創世記12:1-2
約束が与えられてから10年以上経過、その間、神様は、アブラムに何回も何回も約束を与え、希望を掻き立て信仰を支えて来て下さっています。
神様の方から近づいて下さっています。 しかし、アブラムは、神様の約束を信じきることが出来なかった。
今、生きている時代の習慣、もう十年も経っているから。 約束を実行してくれないことの不満。
神様が約束を果たさない、延期される事は、否定ではありません。
神様を待ち望んでいるかどうか、心が探られ、お取扱いの時なのです。
「私のたましいよ、黙って、ただ神を待ち望め。私の望みは神から来るからだ。」詩編62.5 人ではない、環境でもない、物でもない
望みも神様だから、黙って神様を待つ。 霊的下降線をたどっていくアブラムに神様の言葉がふたたび臨みました。
神様の憐れみ ご自身の約束を信じる信仰を求められた。
神様は、あなたを用い、業をなされる、一人の存在を尊く値ずもって下さっている。 不信仰から抜け出せないアブラム。
そして、主は彼を外に連れ出して言われた。「さあ、天を見上げなさい。」 想像の御業を見せようとした
「星を数えられるなら数えなさい。」 人間の能力の限界、神様の偉大さと人間の無力さ 無から天を創造された神様、
無から物を生じされた神様 「アブラムは主を信じた」。 信仰の決断
自分自身に囚われていたアブラムの思いは、自分から離れ神様に向かった。
「それが彼の義と認められた。」
信じられたことを受け入れ、神様がどのように語られたかに基礎を置いた。 何かが起こる前に主を信じること。
神様に認めて頂けるような関係に瞬間、瞬間歩みましょう。 信仰は、確実、祝福です。
これは、メッセージを聞いて信徒が書いたものです。メッセージそのままではありません。
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