2018年3月11日 歓迎礼拝 メッセージ要約
「あなたによって祝福される。」
聖書箇所 旧約聖書 創世記12章1から4節
神様は平等に時を与えて下さっています。 その時、その時をどう受け止めて行くかによって、立ちも倒れもします。
「アブラム(アブラハム)の時」
それは、父の死により、失意のどん底、試練の時でした。 アブラムは、その時を神様の声を聞く時とし、生かしました。
どういう時であっても、時を自分で支配し動かすのではなく、そこから解放されて神様にゆだねるのです。
アブラムが危機的な時に臨んだ神様の御声は、甘美で慰めに満ちた御声ではありませんでした。
① 主はアブラムに言われた。「私が示す地へ行きなさい。」厳しく辛い命令をアブラムの決断を促しています。
自分自身の願望、欲望を捨てて、神様の命令に身を低くして従う。 神様の語りかけは、「あなたの身を過去と決別しなさい。」
離れなければならないもの、過去のしがらみが解決出来ない限り、前に進めません。
② 未解決の問題がたくさんあった。 あなたの思いわずらっていることから離れなさい。
「私たちも、一切の重荷とまつわりつく罪とを捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。」 ヘブル12:1
聖別が伴います。 けがれたままでは、前に進めません。 神様は深いわざをなさる。
自分が神様の前に、声に従う時、神様の意志に対立するものを一切聖別しなければなりません。
離れること。
神様の奉仕に専念する時、神様の前に敵対するものから離れる。
分からないことがいっぱいあると思います。
何故と言う疑問がいくつも湧いてくるでしょう。
神様の語りかけは神様が責任を持って下さる。 神様の必然によって動かされるのです。能力があるからではありません。
霊の営みは伝道者、信徒の区別はありません。
神様が、彼ひとりを呼び出し、ひとりで出発し、ひとりで従った時、彼ひとりではなかった。 神様が共にいて下さった。
「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行くようにとの召しを受けたときに、これに従い、どこに行くのかを知らずに、出て行きました。」
ヘブル11章の8節
人間的には不平、不安がいっぱいあると思いますが、神様の御言葉をそのまま全面的に受け入れて従う。 これを信仰と言います。
③ 祝福の源、 神様は、目的なしに人を呼ぶことはありません。
一人一人の生き方は、すべての人の祝福に関わりがあります。 妨げもあるでしょう。
離別しなければならない事もあるでしょう。 しかし、神様が共にあってくださることが、祝福中の祝福なのです。
健康、財産等、じぶんが消費する為だけに使うのではなく、隣人に祝福を、次へ渡す為に使用しましょう。
果てしなきクリスチャンの挑戦は、神様の祝福に繋がります。
御言葉に祈りを込めて従い、祝福の源となって、神様と心を一つにして進みましょう。
これは、メッセージを聞いて信徒が書いたものです。メッセージそのままではありません。
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