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2017年4月23日 召天者記念礼拝 メッセージ要約

「私の時は御手の中にあります。」
聖書箇所  新約聖書 申命記34章1-12 

ヨブという人物は、
神様の祝福を頂いて7人の息子、3人の娘をもつ大家族で大富豪、さまざまな家畜を持ち、日々神様を恐れ、悪に遠ざかっていた。
しかし突然、自分の全ての子供、財産を失う。
悲しみと苦しみのどん底の中で神様に告白した言葉
「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」 (ヨブ記1:21)

どんな人でも裸で生まれて、裸で地に帰る。
私たちの人生は、生まれてから死ぬまでは、神様からの貸出物です。預かっているのです。そして、死ぬ時は、すべて地上に残していくのです。
生まれた時には、何一つ持ってこなかった、だから、人生の最後は、何一つ持って出る事が出来ないのです。
しかし、私たちは、この地上の生活がすべてであるかのように、地位、名誉、財産等、地上の宝を持つことに必死になっています。

今日は、申命記34章、モーセの最後について学びます。
モーセの最後 モーセの生涯は、120年
① 誕生から40才までが一区切り
② 40才から80才までが一区切り
③ 80才から120才までが一区切り
このように自分の生涯を区切って振り返るとこれからどうしたらいいか見えてきます。

① の区切りは、モーセの数奇な運命、奴隷民族の男子として誕生し、ナイル川に流され、エジプトの王女に拾われ、王女の養子となる。
最高の教育、将来を約束された華やかな40年、しかし、ある日自分の出生を知ってしまう。権威、権力をすべて捨てて、同族を救う為にやった事が認めてもらえない。
イスラエル民族を捨てて、王族として生きるのか、同族が苦しんでいるのを助けるのか。
帰路に立つ40才。
モーセはどうちらも選ばなかった。逃げたのです。ミデアンの地へそして結婚し、羊飼いとなる。第二の区切り40才から80才までは、単調な日々を空しく過ごした。
そして、第三の区切り、80才の時、神様の召しを受けた。

「今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。私の民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」 (出エジプト記3:10)
モーセは、パロとの壮絶な戦いに勝ち、イスラエル民族をエジプトから連れ出します。
烏合の衆の民、神様を知らない民、礼拝を教える事から始め、民を整えなければなりませんでした。
80才から120才
人間が練られていった期間、活動的で実りある40年
価値ある40年、何度も人々の反乱に遭い、身内の嫉妬にも耐えました。
波乱万丈の人生の送ったモーセ
そして、最後の仕事。死ぬという仕事がありました。死を導く神様

「エリコに面したモアブの地のこのアバリム高地のネボ山に登れ。わたしがイスラエル人に与えて所有させようとしているカナンの地を見よ。
あなたの兄弟アロンがホル山で死んでその民に加えられたように、あなたもこれから登るその山で死に、あなたの民に加えられよ。」 (申命記32:49,50)

死海、エルサレム、エリコ、ベツレヘムなど地中海まで見渡せるネボ山へ120才の老人が登山し、カナン全土を見降ろした。
これから入国するカナン全土を神様がお見せになった。
人々をカナンの地に導くことが人生の目的だったモーセ。
これから、人々が入国するカナンの地を心のカメラに刻んだことでしょう。
「あなたは、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地を、はるかにながめることはできるが、その地へはいって行くことはできない。」 (申命記32:52)
義なる神様は、指導者に対しては、NO は、NO 。
たった一回の失敗だったが、目の前にゴールを見ながら、ここまでとストップされた。
自分の蒔いた種は、自分で刈り取らなければならない。

「あなたがたがツィンの荒野のメリバテ・カデシュの水のほとりで、イスラエル人の中で、わたしに対して不信の罪を犯し、わたしの神聖さをイスラエル人の中に現わさなかったからである。」 (申命記32:51)
「こうして、主の命令によって、主のしもべモーセは、モアブの地のその所で死んだ。」(申命記34:5)

死は、神様の命令です。
「人の子よ、帰れ」と神様は、言われます。(詩篇90:3)
人生の様々な出来事は、私達の目線からは、理解が出来ません。
人生の主権者は、神様なのです。
それを受け入れないのが、罪です。
そして、立場が、反対になってしまうと、何故何故とつぶやく人生になってしまいます。
モーセは、人間的な名誉を捨て、静かな死を迎えます。
「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。」(伝道者の書 12:7).
「モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。」 (申命記34章7節)

使命感に満ち、忙しくしていた。
クリスチャンの使命は、神様がどのようなお方であるかのデモンストレーションであり、証しです。
日々神様との交わりにより、使命の再確認をし、神様の目的の道をぶれないで進むことが出来ます。
神様の使命を果たす為、神様は、私に関わる一切の事を成し遂げて下さいます。
体力、気力は、神様から来ます。
臨在と栄光の満ちた死を迎えさせて下さいます。
主の聖徒たちの死は、主の目に尊いのです。

「私の時は、御手の中にあります。」 (詩篇31:15)
天の御国を思いつつ、地上の生涯を送らせて頂きましょう。
最善に導いて下さるのが、神様です。
いつ天に召されてもいいように神様との関係をしっかり保って人生を送りましょう。
もし、神様との関係が雲っていたら、曇りを取り除いて下さるのは、十字架です。

ふよう

これは、メッセージを聞いて信徒が書いたものです。メッセージそのままではありません。


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