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2016年8月21日 礼拝 メッセージ要約

「キリストの福音にふさわしく ⑫」
「私はいつも私の前に主を置いた」
聖書箇所  ルカの福音書 18章9節から14節 

自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。
「ふたりの人が、祈るために宮に上った。
ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。
パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。
『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。
私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。
『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。
パリサイ人ではありません。
なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。

このたとえは警告です。
自分を義人だと自任し、他の人々を見下す。
軽蔑したり、侮ったり、自分に合わない人をパッパと切る。こんな人たちへの警告です。
神様の国の祝福にあずかる人とは、どういう人でしょうか。
神様の国の祝福とは、自分の思うようになることでしょうか。


人間の態度は、二つしかありません。
パリサイ人的態度か取税人的態度です。
義と認められるとは、
① ありのままの自分を認める人
こんな罪人の私と神様の前だけでなく、人の前でも、敬虔、謙虚な態度が出来なければいけません。

② ありのままで神様の前に出る人
人の前ではなく、神様の前です。
こんな私でも受け入れて下さる憐れみの神様を信じることです。
パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。


『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。』 (ルカの福音書 18章11節12節)

パリサイ人は、すべてが悪いのではなく、
満ち足りている自慢、行き過ぎた自己防御、神様のいない自己宣伝、自己主張、
神様は付け足しになっている所です。

そうしようと思っていた。考えていたは、
弁解、自己防衛のための言葉です。
すぐに従えば良かったと思ったらそこで砕かれる事です。

光に従うとは、聖霊様の御声を聞いたなら、すぐ行動に移すことです。
光のトップを歩んでいると聖霊がもっと深い所に光を当てて下さいます。
私たちは、神様の与えて下さった恵みを無駄にしてはいませんか。
祈りとは、求める事です。
欠けを自覚しているから祈るのです。

取税人は、「こんな罪人のわたしをあわれんでください。」
神様から見られる自分。
全ての点において神様を認識するのです。

「主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。
あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。」(詩編139編 1節2節)
「正しい神は、心と思いを調べられます。」 (詩編7編9節)
「人はうわべを見るが、主は心を見る。」 (Ⅰサムエル 16章7節)

 

パウロは、「私は罪びとのかしらです。」と神様の前に出た時、告白できた人物でした。
ペテロは、聖なるイエス様の前に出た時、神様の聖さに、「私は、罪深い人間です。」と言いました。
十字架のイエス様を仰ぎ、こんな私と認識して、悲しんで求めていますか。
福音は、私を変えます。 「憐れんで下さい」とへりくだった時、自分が変わっていきます。

 

神様が喜ばれるのは、「砕かれたたましい。
砕かれた、悔いた心。
神よ。あなたは、それをさげすまれません。」  (詩編51編17節)
「私はいつも、私の前に主を置いた。

主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。」(詩編16編8節)

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3章6節)

神様に喜んで頂くことを喜び、神様の中から人生に必要な喜びを頂きましょう。
過去の悲しい出来事や誘惑に負けないで下さい。
あなたの霊肉に必要な事はすべて神様の中にあります。

はぎ200

 

これは、メッセージを聞いて信徒が書いたものです。メッセージそのままではありません。


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