2016年6月12日 礼拝 メッセージ要約
「キリストの福音にふさわしく ③」
「神の恵みによって 私は今の私になりました」
聖書箇所 ヨハネ1章35節から42節
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。 古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」 第Ⅱコリント5章17節
その人を新しい人生に歩ませて下さる。 これが福音です。
シモン(ペテロ)がイエス様に出会ってどうなったのでしょうか。
シモンは、霊的経験が新しくされました。土台は、イエス様です。
同じイエス様に出会った私たちは、どうなりましたか。
ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。 「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」 ヨハネの福音書1章29節
イエス様によって解決しない罪は一つもありません。
アンデレ、ヨハネは、イエス様に出会って救いを経験し、それをシモンに伝え、シモンも救われました。
① イエス様は、人をどのように見られるのか。
現実性
イエスはシモンに目を留めて言われた。
「あなたはヨハネの子シモンです。」 ヨハネの福音書1章42節
この言葉は、シモンの全て(第三者からみると、無学な普通の人、漁師、性格は短気でせっかち、臆病)をご存じという意味です。
私たちも自分の現実性をしっかり受け止めましょう。
「あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」 ヨハネの福音書1章42節
ふさわしい人格に変わったから新しい名前を下さったのではなく、むしろ何もないからこそ、イエス様が特別に憐れんでくださいました。
そして、この新しい名前ペテロは、教会を生み出す土台となりました。
② その人の可能性を見い出して下さる。
その人が、イエス様の語りかけに従って行く時、福音は、あなたの中に可能性、希望を掻き立てて下さいます。
あのペテロ(弱虫で臆病)は、聖霊経験を受けたのち、立ち上がって語ったと書いてあります。
三度もイエス様を否定したペテロがどんなに捕まえられ、妨げ、妨害されても
「この方以外には、だれによっても救いはありません。
世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」(使徒の働き4章12節)
と主張を変えませんでした。
「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきません。」
(使徒の働き4章19-20節)
ペテロは、主を裏切りました。そんな人間をイエス様は赦しました。
私たちは、自分が受けた恵みを他の人に与える、他者に対して力づける生活をしていますか。
③ シモンでありながら、ペテロである。
自分がシモンである事を忘れて、私は、ペテロであると思い始めると思い上がり、見下してしまいます。
栄光を自分に帰すのではなく、神様に栄光を帰し、神様が崇められるのが証しです。
神様の憐れみのゆえに私たちは、変えられ続けるのです。
「地の塵に等しかり、何一つとりえ無し」
と自分を低くへりくだりましょう。
イエス様は、無に等しいものをお選びになられます。
それは、その人が誇らない為です。
病気、自分の弱さ、ハンディがあるからダメと悲観するのではなく、どういう状態にあってもペテロ(新しい名前の性質)だとすると、振り向いて下さるお方がいらっしゃいます。
目を留めて下さるお方がいらっしゃいます。
私たちを計り知れない罪から救い出し、恵みの器として変えて用いて下さるのが福音です。
あなたをあなたらしく用いて下さる。
しかし、神様の語りかけに従わなければ、神様の働きはなされません。
「あなたの口を大きく開けよ。私がそれを満たそう」(詩篇81篇10節)
「神の恵みによって、私は今の私になりました。・・・しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。」
(第一コリント2章10節)
これは、メッセージを聞いて信徒が書いたものです。メッセージそのままではありません。
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