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2015年9月20日 愛老感謝礼拝 メッセージ要約

「私たちの神の大庭で栄えます。」
聖書箇所 詩篇92章12節から15節

今日私たちは、「主、われを愛す」を賛美しましたが、この讃美歌は、A姉が危篤と言われ、兄弟が集まった日にこの「主、われを愛す」を1番から5番まで全部、1人で賛美したので、兄弟たちは、「大丈夫だね」と言って帰ったその日に召されました。
賛美中に、A姉の事を思い出しました。

正しい者は、なつめやしの木のように栄え、レバノンの杉のように育ちます。
彼らは、主の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。
彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。
こうして彼らは、主の正しいことを告げましょう。主は、わが岩。主には不正がありません。」
                                             (詩編92:12-15)

樹齢何百年の大木や植物は、私たちに自然界の摂理を教えてくれます。
実を結ぶ木は、私たちに豊かさを教えてくれます。
しかし、大切なのは、長さではなく、豊かさです。

① 老いを生きるとは
良い質を生きることです。

人に評価されたり、物質が豊かな生活を示すのではなく、生活の質を高め、神の大庭で栄える生活のことです。
神と共に歩み、生きる糧を頂く、年齢と共に聖書を読むことが難しくなりますが、それでも聖書に親しみ読み続けることです。

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」 マタイ28:20

幸福感に満たされると、必然的に生活が豊かになります。


なつめやしの木は、天に向かって真っすぐに立っている姿を想像出来るでしょう。
御言葉の基準に正しく生きている人、霊的にみずみずしく、神様の恵みに満たされている人を示します。
神様の栄光だけを信じて生きていく。
環境に左右されるのではなく、神の恵みによって生きるのです。
たとえ体が不自由でも、神の恵みによって、みずみずしく生きるのです。

レバノンの杉は、
人生にどんな強風が吹いても、弾力性があり、負けない人を示します。


② 光に向かって生きる。結実へと進む。
14節に「年老いてもなお、実を実らせ」老いてもこれからも、実を実らせるのです。
ですから、老いる前からつまり若いうちから信仰の姿勢を整えましょう。
被造物(私たち造られたもの)は、必ず、朽ちて行きます。
ですから、神様によって強くされる、恵みの生活を送りましょう。

「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、 わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」(コリント人への手紙12:9)

弱いからこそ強い、これこそ霊の世界の恵みです。
忍耐、寛容を学ばなければならない人生を通ってきたことでしょう。
しかし、神様から見たら、その人でなければのり越えられない道なのです。
その人の変わりはいないし、お互い戦ってきたことも違うのです。

不安は、地に帰る人間が抱きます。
しかし、神様の約束は変わりません。
お墓に向かって生きるのでは、ありません。
光に向かって生きるのです。
それが、クリスチャンの存在の意味です。

健康的な問題が起きた時こそ、神様に祈りましょう。

③ 生きる意味を見い出して生きる。
天に帰るその時まで、生きる意味があるのです。
人格的な輝きは、衰えません。

「ですから、私たちは勇気を失いません。
たとい私たちの外なる人  は衰えても、内なる人は日々新たにされています。」 コリントⅡ4:16

神様の恵みが生い茂っている、神様の恵みに囲まれていることを想像してみて下さい。
人間的な繁栄を追い求めるのではなく、神様の植えて下さった場所に自分自身の身をゆだねるのです。

「まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」 詩篇23篇6節

池




これは、メッセージを聞いて信徒が書いたものです。メッセージそのままではありません。




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