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2015年9月13日 礼拝 メッセージ要約

「クリスチャンの実際生活 ⑩」
聖書箇所 ヤコブ2章14節から19節

信仰と行い

本当の信仰は行いに現される。

① 本物でない信仰
② 本物の信仰
本当でない信仰とは、思い込んでいる信仰、信仰があるふりをしている信仰の事です。
本物の信仰とは、救われた一人一人のクリスチャンが信仰に生きているか、生涯掛けて戦う事です。

1) 本物でない信仰とは、言葉だけで、実行が伴わない、口先の信仰 生活に具体化してこない
「わかっていたのですけれど・・・」と限界をそこに持っていきます。
(2) 現行不一致
お祈りの大切さは、わかっているけれどやらない。
伝道の大切さは、わかっているけれどやらない。
愛の大切さは、わかっているけれど実行しない。

 

私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。(ヤコブ2:14)
あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。」(ヤコブ2:16)

14節にも、16節にも 「何の役に立ちましょう」と2度繰り返されています。 口先だけの信仰は、助けを求めている人々に対しても、神様の目から見ても役に立ちません。
「おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。」 (マタイ25章42から46節)

隣人を助ける →  イエス様にした事。
隣人を助けない → イエス様にしなかった事。

わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者が1.5みな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者がはいるのです。 (マタイ 7:21)

頭の合点だけ、神様に結びつかない頭の信仰は、なんの力にもならないのです。 私達の信仰はどこに結びついているのでしょうか。

あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。」 (ヤコブ 2章19節)

悪魔でさえも神様は正義であり、イエス様は、いと高き神の子と知っています。
しかし、悪魔は、心がねじ曲がっているので、こうべを垂れる事をしません。
裁きだけが怖く、清い存在から逃げています。
しかし、神様を低くしか捕えられないクリスチャンよりも、悪霊の方がよくイエス様を知っているのです。

「それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。」(ヤコブ 2章17節)
あなたの信仰に生命力がありますか。
生命力のある信仰は、神様の命に繋がっています。

マタイの福音書にペテロの海上歩行のお話が書いてありますが、ペテロは、思いがけない問題が起きた時、イエス様を幽霊だと思い込んでしまいます。
イエス様は、恐怖を覚え、湖に沈みそうになるペテロに話しかけ、そしてペテロの手をつかみます。
困難な時ほど、神様に生きていると証しし、ゼロから物事を生み出す信仰が必要です。
私達は、神様と命のパイプラインがないから、自分の力だけで努力しているとぺちゃんこになってしまいます。
神様に全面的に信頼し、ゆだねる時、現実の中に信仰は生きていくのです。

本物の信仰とは、
良い行いによって信仰を見せる。 
分岐点は、実行するか否かです。
神様の前に聞くだけか

実行するか

神様が心に光を当てて下さったら、自分の弱さを認め、悔い改めて、イエス様のみが私を助けて下さると信じ、イエス様に全面的に寄り掛かることです。


「あなたがたは、心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」ヨハネ14:1
「あなたの口を大きくあけよ。」詩編81:10

生涯掛けて信仰を証ししましょう。
イエス様に対する信頼と個人的な愛と服従は、必ず行いに導かれます。
外側だけ頑張っても出来ません。
そして、生命力があるなら、必ず実になっていきます。
実にならないのは、その人の信仰は、何かが間違っています。
もう一度神様の前にへりくだり、信仰の出発点を確認しましょう。

今、日本が求めているのは、“見せる信仰”私達一人一人の人格を通し、
見せるのです。
清い信仰の上に自分自身を築き上げましょう。

大滝山

これは、メッセージを聞いて信徒が書いたものです。メッセージそのままではありません。




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