2月22日 礼拝 メッセージ要約
聖書箇所 「我が主は、何を告げられるのですか」 ヨシュア 5章13-15節
信仰の問題を3回にわたって学びます。
ヨシュアは、エリコ攻略の戦いに出る。
しかし、城門は固く閉ざされ、難攻不落であった。
ヨシュアの指導者としての孤独、
上を見ないで、下を見るので神様の助けを見落としてしまう。
「目を高く上げて、・・・見よ。」 イザヤ40:26
さて、ヨシュアがエリコの近くにいたとき、彼が目を上げて見ると、見よ、ひとりの人が抜き身の剣を手に持って、彼の前方に立っていた。
ヨシュアはその人のところへ行って、言った。
「あなたは、私たちの味方ですか。それとも私たちの敵なのですか。」
すると彼は言った。「いや、わたしは主の軍の将として、今、来たのだ。」
そこで、ヨシュアは顔を地につけて伏し拝み、彼に言った。
「わが主は、何をそのしもべに告げられるのですか。」 ヨシュア 5章13-14節
ヨシュアは、顔を地につけて伏し拝んだ。
主の軍の将つまり最高指導権を持つものに対し、完全に従順な姿勢を取った。
これは、神様の御言葉に対するクリスチャンの姿勢となるべき。
主は、ヨシュアより先にご自身が先頭に立ち、これからの戦いは、主の戦いと認識させる為に主の軍の将を彼の前に立たせた。
天の軍勢と麗しい協力関係にあるか
罪の城壁は崩れない。
「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。
その耳が遠くて、聞こえないのではない。
あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」 イザヤ 59章1-2節
私たちの前に固く閉ざしているものは何。
当惑させ、解決不能と思わせるもの。
ベストを尽くしたけれど失意のどん底になった時、一人になって自分の弱さを見つめ、それを神様の前に持ちだし、告白し、神様を待つ。
ここまで来ないと主に会う事が出来ない。
エリコは、イスラエル人の前に、城門を堅く閉ざして、だれひとり出入りする者がなかった。
主はヨシュアに仰せられた。
「見よ。わたしはエリコとその王、および勇士たちを、あなたの手に渡した。
ヨシュア 6章1-2節
神様のおっしゃられた事に対し、その通りにする。
自分のやり方でやってしまわない。
信仰とは、無限の力、全能の神と手を結ぶこと。
しかし、私たちは、サタンの攻撃に会いすぐに不安になる。
クリスチャンは、神様の光により、霊の目を持って物事を肯定的見る事が出来る。
主が最善をなして下さるという信仰がありますか。
「また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように」 エペソ 1章19節
すると、主の軍の将はヨシュアに言った。「あなたの足のはきものを脱げ。あなたの立っている場所は聖なる所である。」 ヨシュア 5章15節
そこで、ヨシュアはそのようにした。
ヨシュアは、神様と個人的に面接し、支配権、指導権を神に委ね、神のしもべとなった
自分で気負ってやってみたり、ある時は手放してみたり、不安だらけの人生
しかし、神様が私たちの人生の指揮官になって下さり、先頭に立って下さる時、私たちは神の戦略にただ従えばいいのです。
たとえそれが、常識と違っていても。
短い人生の中で神様はこうして下さったと証しして天国に帰りましょう
「わが主は、何をそのしもべに告げられるのですか。」
全き服従が勝利です。
神の言葉に声を傾ける密室を大切にし、毎朝主と面接し、出かけましょう。
御言葉は、主の剣です。
これは、メッセージを聞いて信徒が書いたものです。メッセージそのままではありません。
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