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メッセージ (2014年2月9日)献堂20周年礼拝より

―五つのパンと二匹の魚―
「それをここに持って来なさい。」  ヨハネ6:1-13 <要約>

今朝の聖書の箇所
5千人の給食と呼ばれ、聖書の中でも最も有名なイエスの奇跡。

1.「それが何になりましょう。」 静かなる絶望
イエスと弟子たちに付き従い、男たちだけで5千人もの人々がガリラヤ湖の向こう岸に渡った。
夕暮れになり、弟子たちは、群衆を解散させるように主イエスに願った。
ところが、イエスは「あなた方が彼らに食べるものを与えなさい。」とおっしゃった。
弟子たちが、得たものは、五つと魚が二匹(マタイ14:17)

(結論1)
・いつも圧倒的な必要に直面している私たち。
・いつも自分の力ではどうしようもない、その能力を遥かに超えた問題が迫っている私たち。
それを前にして、私たちは、五つのパンと二匹の魚を手に持って「これしかありません。」と呆然と立っている。
神は、五つのパンと二匹の魚しかもっていない私たちの前に、膨大な挑戦をおいて、私たちの信仰を試しておられる。
信仰の成長を促すために、あえて直ぐ問題の解決を与えない。

2.主は五つのパンと二匹の魚を祝福して下さる(希望)
イエスは、それをわたしの所に、持ち来たれとおっしゃる。
じっと状況を眺めて、静かなる絶望にひたるぐらいなら、「ここに持って来なさい」と。
私たちの前に立っておられるのは主イエス・キリスト。
「そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、座っている人々に分けてやられた」
マタイ14:11

(結論2)
ここの感謝を捧げるという動詞は、他の箇所では“祝福する”と訳されている。イエスの問題に対する基本姿勢、それは、神に目を向け、信頼し、託するということ。
五つのパンと二匹の魚のような私たちは、イエスの祝福により思いもよらない恵みへと変えられていく。

3.差し出す勇気(信仰)
ピリポが試されたことは、今朝、私たちに試されていると言っていい。
小さなあなたを、小さな心配、小さな恐れ、小さな願いをわたしの所に持って来なさいと言われた時、それを「はい」と言って、差し出すこと。
五つのパンと二匹の魚を差し出した人物が少年であったと、ヨハネの福音書だけに記されてる。
少年は躊躇したかもしれない。しかし、あるだけ全部、渡した。
それは、小さな私の小さな人生を 主イエスの御手に差し出す勇気。

(結論3)
私たち自身を主に捧げ祝福して頂きましょう。
イエスは私を祝福して下さいます。
神は私たちの必要に答えて下さるお方、そして充分に答えて下さるお方、有り余るほど充分に答えて下さるお方です。
弟子達と群衆は、実際問題の中で、イエス・キリストをそのように体験しました。
この出来事こそ、私たちの人生を取り扱って下さる主の恵みの象徴なのです。

(これはメッセージを聞いて信徒が要約したものです。)

・「わたしの神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなた方の必要をすべて満たして下さいます、」 ピリピ4:19

・「神は、あなた方を、常にすべての事に満ち足りて、すべての良い業に溢れる者とする為に、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。 Ⅱコリント9:8



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